学校では読み書き計算以外、世の中に出て役に立つことを教えようとしない。そんな感想を持って私は社会に出た。

 

歴史

歴史にしても、現在の社会を成り立たせた昭和という時代は教えず、縄文時代や平安時代のことを中心に教える。

昭和を教えれば、現在のいろいろな社会の成り立ちがどうしてそうなったのか、「歴史的」な経緯がわかるのに。

日本の憲法がなぜ一見、非常識とも見える戦争放棄をうたっているのか、歴史的な経緯がわからないと理解できない。

日本の現在の社会の仕組みはほとんど戦中戦後につくられた。

どうしてそういう仕組みになったのか、歴史的な経緯を知らないと、よりよい改善策がつくれない。

 

社会科

「社会科」はどうでもいい建前だけ習ったような気がする。

自分が身に覚えのない痴漢の容疑で警察に突き出されたら、どうしたらいいかをケーススタディに刑法を習ったら、興味が沸く。

実際に役に立ったかもしれない。

刑事訴訟法の問題点など、社会問題についての認識が高まるだろう。

法律をどうしたらいいか、社会で考える人が多くなり、国会議員になった人も役に立ったかも。

経済学のうち、役に立つと言われている、リカードの比較生産費の理論やケインズのマクロ経済学の基本は中学生でも理解できる。

こうした知識があれば、アベノミクスがおかしいことが多くの国民にわかるはず。

金融政策で不況が解決できないことはケインズ経済学では既知の事実なのだから。

税金も、財政学という当局者の視点で学ぶのではなく、確定申告の仕方を通じて学べば、現実に役に立つ。

税金の計算方法や、どんな所得にどのように課税されるかを知れば、不公正税制の現状がわかる。

社会を良くするためにどう改善すればいいか国民の共通理解が得られるだろう。

 

体育

体育も、体中の骨や筋肉の名前を覚えるという、最もつまらない学習をさせられたことがある。

そんなことよりも、図や模型を使って、骨や筋肉、腱がどのように協力して運動を成り立たせているかを学び、どうしたら、けがをしてしまうのか知っておいた方がいい。

人は必ず死ぬのだから、死ぬときはどのようにして死んでしまうのか。

知っておけば、馬鹿な危険を避けることができるし、肉親の死に対する心構えもできる。

 

作文

作文は感想文ばかり書かされたが、実際に社会で役立つのは説明文だ。

目の前の現象をどのように把握して表現するか。

理化学の世界でも芸術の世界でも大事なことだ。

社会に出て、説明文を書ける人がほとんどいないことに気づいた。

日本はものづくりのレベルが高いと言われるが、つくったものの説明文が貧弱なのは悲しいほどだ。

車でも時計でも、違うモデルの説明書を1種類の説明書でごまかしていたりする。

読む方で違う部分を読み替えてねという不親切なやり方だ。

ものづくり企業に説明文がちゃんと書ける人がある程度いれば、書き分けることが可能なのに。

社会の仕組みについての説明文も改善が必要だ。

法律の文章や裁判官の判決文の文章のひどさは小学生並みだ。

わかりやすい文章を書くという基本ができていない。

 

英語

英語は文法や単語を覚えることに力をいれている教師が多いが、語学はトレーニングだ。

英語を学ぶのは英文学をやりたいのではなく、外国人とのコミュニケーションの道具を手にするためだ。

ひたすら口を動かすトレーニングを通じてこそ、思ったことを口に出すことができるようになるし、耳が英語を聞き取れるようになる。

 

教師の再教育

社会の変化につれて教えるべきことも変わっていく。

私が習った先生たちは、教育学については興味を持っているが、教える教科、内容についてはいまひとつ興味を持っていないような人が結構いた。

「私が教えていることはこんなに面白くて、君たちが社会に出たときにきっと役に立つよ。」

そう言える教師の授業はきっと子どもたちにとっても面白いだろう。

自分の興味があることは新しい情報をどんどん吸収したくなる。教科の内容も進化していくはず。

自分が教えている内容がいつまでも同じでは教えている方も興味が失せてしまうだろう。